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スチュアート ダウジー との出会い 後編

西洋骨董*買い付け*見聞録*8
スチュアート ダウジー との出会い 後編

 

 

私が、アンティークディーラーとして歩むことを決定的にしたのは、何といってもスチュアートとの出会いから始まる。その時の事は、今でも克明に覚えている。

 

眼鏡店地下のオフィスを訪ねた私とK氏を出迎えてくれたのが スチュアート・ダウジーであった。当時49歳(ちなみに私は、30歳)・身長も高く(190cm)ガッチリとした体躯に紺のスーツ・白いピンドットのやはり紺のネクタイを締め、日本人のそれとは違うが、丁寧なお辞儀をして 「スチュアート・ダウジーです宜しくお願いします。」 と流暢な日本語で挨拶をしてきた。

 

当然であるが、この様な状況である以上こちらも ナナナイス・トゥ・ミイーイトゥ・ユウー・・・などと 私が考案した 謎の言語 を話す必要がないと判断し、初めまして仲山です。 と答え握手をしたのである。

 

彼は、1960年代にヒッチハイクでトルコまで行くつもりでイギリスを出た。お決まりのコースであるインド・アジア諸国をめぐり日本を経てカナダに行くという事になったのだが、日本で 碁 に出会い嵌ってしまったそうである。

 

そして、いわゆる大和撫子???にも嵌り、結婚・娘を授かるが離婚、結局カナダに行くことなく8年程日本で暮らし、NHKの囲碁番組にも出演・外国人向けの囲碁雑誌社設立、私やK氏より正しい日本語を話すことが出来た。

 

私も、小学校高学年からスチュアートが実践したヒッピームーブメントに影響を受けて育ち、大学卒業後、就職もせず外国をほっつき歩いていた経歴の持ち主の為、そんなことなど知らずとも、お互い 同じ人種 の匂いを嗅ぎつけ直ぐに意気投合したのである。

 

その後、私の親友となる、北イングランドで名を馳せたアンティークディーラー、トニー(他界)や一緒にベルギーやフランスに Buying Trip に数十回行くことになるアランも同じ 人種 である。しかし、スチュアートとアンティーク業界にどっぷり浸かることになるのは、この後1年数か月後の事である。

 

但し、この時は、1990年代にイギリスで名を馳せた、 エマー・ブリッジウォータ との契約の他、多くの収穫があり、2年後に、私が所属していた会社が多額の投資をしてくれ、ジュビリーマーケットを立ち上げることにつながったのである。

 

次回へ続く。。

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