マイアカウントカートを見る
YESTERDAY WAS DRAMATIC, TODAY IS OK.
The Moonスタッフよりオススメのインテリアや日々のあれこれ

西洋骨董*買い付け*見聞録*15

永らくお休みを頂いておりました、店主ブログ 再開することにしました。
私の 店主ブログ のファンと称する方から、下記の様な激励を頂き、まさに背中を押されるように再開に至ったわけです。
 
 
ファンの方からの激励文
「ワレ。何さらしとんじゃ!わしはな、ワレのブログのファンや。前のから随分間あかしとるやん?早う次書かんかい! アホ・ボケ   よろしゅうな。熱烈なファンより。」
 
という事で、震える手でキーボードをたたいております。
 
 
買付け談話に少し飽きてきたと思いますので、今回から数回は、私がシドニーでぶらぶらしていた頃の 見聞録 となります。
 
1982年 私は、シドニーのボンダイビーチから丘上に伸びるフランシスSTにカナダ人のグレッグ・同じくカナダ人デイブとニュージーランド人デビーのカップル・そして私の4人でシェアをしていた。ボンダイビーチまでは歩いて1分位。サーファーとまではいかない私とデイブも波の低い日は、波乗りをしたりもしていた。(波の高い日はロコのサーファーから今日はお前たちには危険だと言われ、入らせてもらえなかった。おそらく 邪魔という事だろう。)
 
職場は、ノースシドニーに在った タワーフレンチ。ボンダイビーチ沿いのバス停から バスに乗り、ボンダイジャンクション➡ピットストリート➡ノースシドニー。
11AM~11PM 完全なブラック!とはいえ、飲食は自由(11PMにはスタッフ全員が出来上がっていた)。3PM~7PMは自由なので、YMCのジムに行ったり、ヨガ・英語クラス(移民用なので無料、移民でもないのに何故入れたのか?記憶なし)。にも通っていた。
 
又、土曜日の閉店後は、ボス・スタッフ数名・スタッフの友人でシドニーのハーバー近くの倉庫街にあった ベイスメント という洒落たジャズクラブにボスの車とスティーブのバイク2人乗りで繰り出すというのが何となくの決まりであった。ボスの奢りは勿論、帰りのタクシー代まで出してくれるという大判振る舞い。まあ。意外とホワイトか!
 
このジャズクラブは、当時としてはかなりクールだった。外見はぼろい倉庫、入り口も普通の鉄扉。鉄扉を開けると、ゴリラの様なセキュリティスタッフがいてその奥にこれまた小さな、受付。入場料を払いその奥にあるやはり鉄扉から店内に入る。店内は2フロアで2階は食事メイン、1階はバーメイン。ステージは1階にあり2階からも見えるようになっていたと記憶する。タワーフレンチに以前いたスタッフが、何故だかはわからないが、この店では いわゆる 顔 であったので、我々も入場料無料・常に良い席を確保してもらっていた。
 
今思い出すと 何故 となってしまう。いつも好待遇の私たちに興味を持ったのか?
 
店の看板シンガーである ココ(ニューヨークから来ていた黒人ジャズシンガー)がステージの合間に、我々のテーブルに来て一緒に酒を飲むという事も。度々あった。
 
東京に興味があるというココが東京や日本の事を、私に尋ねてくることもよくあったが、ココの英語は非常にアクセントが強く、私の英語力では、ほぼ理解できず、英語はネイティブに話せるはずのボス(フランス人)に 「なんだって?」と聞いてはみたものの「俺にもわからん」であった。その場合、オージーのスティーブかダイアナが 通訳? をしてくれた。
英語➡英語 ややこしい。
 
 
続く

FacebookTwitterInstagram