マイアカウントカートを見る
YESTERDAY WAS DRAMATIC, TODAY IS OK.
The Moonスタッフよりオススメのインテリアや日々のあれこれ

西洋骨董*買い付け*見聞録*18

とは言え、元来、運が良くツキがある私は、まあ大丈夫だろうと思いながらぶらぶらと歩くことにした。運が良いと思うのにもそれなりの根拠があった。シドニーで一人で暮らしていた頃、持ち金と、巨大トラックからの荷下ろしの仕事をたまに行っていたので、とりあえず食える状態であったが、プロレスラー並みのオージーに混じっての仕事はきつかった。そして、「ユ ア ファイアー!」
 
 
しかも、1982年 オーストラリアは5万人の移民を受け入れたのだ(正確な数字ではないが)。ジョブセンターに行っても仕事はなく、金もどんどんなくなり、2週間程、冷凍野菜(人参・コーン・インゲンをカットした一応食品。当時1Kgで1ドル位 )と卵を1日2食としていたが、とうとう1週間分の家賃35ドルを支払うと残り5ドルという状況になってしまったのだ。しかし、自分は 運が良くツキがある と妄信している私はその5ドル札を握りしめてスーパーに行き、買える限りのオージービーフを買った。
 
 
はっきり覚えていないが、おそらく700~800gぐらいだったと思う。そして、全て食べた。
そして、いざ! ジョブセンターへ。
 
 
いつものように求人カードが貼ってあるボードの前に行くと、やはりカードはほとんどない。その時、後ろから Yoshi と呼ばれたので振り向くと、何故か私に対してとても親切な ゲイのジョブセンター職員 が手招きをしている。
 
 
行ってみると、「まだカードにしていない入ったばかりの仕事あるわよ。フレンチレストランのキッチンマン。どう? やる? 電話しようか?」 「オフコース プリーズ」
そして彼は電話をした 「日本人ですけど英語ペラペラ。レストランでの経験もあります。
はい。では、すぐに行かせます。」「OKよ。直ぐに面接してくれるそうよ」と住所を書いた紙を渡された。
英語ヘラヘラだし、スカイラークで皿洗いしかしたことないし。
 
 
「頑張ってね」と 投げキッスだ! 何故こんなに親切なのだろうと思いながら、住所のノースシドニーへ。
Tower French に入り面接の件をスタッフに伝えると、すぐにオーナーが出てきて「私は、ハッセン」「Yoshi です」「OK」と言うなりエプロンを渡された。
キッチンに連れていかれて、シェフと他のクックを紹介され「シェフの指示に従って」と。
いきなり ジョブ ゲット!ランチタイム終了後、いわゆる マカナイタイム。 176bmおそらく60kgあるかないかの私は、金なく・食えなく・栄養失調と思われたのであろう、「食え食え」と、その後食に困る事は無かった。当時のオーストラリアドルは275円だったので約1400円のオージービーフの御かげか・投げキッス の御かげか?
 
 
と運とツキのある私にとっては、見渡す限り動くものがなく、音といえば、風の音と チーと鳴きながら飛ぶ虫の声だけの砂漠の景色がとても穏やかに感じられた。
*チーの虫の事は後記にて。
 
 
そんなこんなで、ぶらぶらすること1時間。何気なく振り向くと、
陽炎の中に1台の車の姿が。音はまだ聞こえない。しばらく見ているとやっと音が聞こえてきた。よっしゃ!と見つめている中、車がドンドン近づき、そして、止まった。
「やっぱり。俺。持ってる!」
 
 

続く

FacebookTwitterInstagram