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The Moonスタッフよりオススメのインテリアや日々のあれこれ

西洋骨董*買い付け*見聞録*8

西洋アンティークとの衝撃的な出会い。- 後編 –
 

フレッドが、私の駆使する 難解至極な謎の言語を、根気よく解読してくれたお陰で私達は、あれやこれや話をすることが出来た。

 

イギリスでのアンティーク事情の入門編は フレッドから教わった。
 
私は、ここでアンティークの輸入・販売をすべきであると確信したため、1分でも早く帰国して、そのことを1秒でも早くボスに報告しなければならないとの使命感がふつふつと湧き上がるのを感じため、その夜は 早く朝が来ないかと なかなか眠れなかったのを今でも覚えている。ようやく朝になり眠そうな顔押した K氏 を叱咤し、飛行機の出発5時間前には空港に到着していたように記憶している。
 
とにかく、早く帰りたいの一心であった。(あほやな)
 

空港では多くの商品サンプルを詰め込んだスーツケースが重量オーバーとなり追加料金 300ポンド(当時75,000円位)を請求されるという予期せぬ事態に遭遇したが、関西弁英語バージョンを駆使して、エアロフロートのレスラー体型おばちゃんを相手に減額交渉。どうにか50ポンド(12000円位)で手を打った。 関西弁 すごいですな。
 
いよいよ、搭乗時間 のアナウンス。1分でも早く帰りたい私にとっては 待ちに待った 瞬間である。意気揚々と飛行機に乗り込み、早めのシートベルト着用、あとは離陸を待つのみの状態になり安心したのか、不覚にもうとうとしてしまった。ふっと目が覚め腕時計を確認すると、すでに離陸時間を過ぎてるではないか。
これは悪夢かと思いボーとしていると、よくわかりませんけど離陸 遅れるみたいなこと言ってましたよ。横に座っていたK氏。
なに~。と思わず K氏 をにらみつける私。
 

結局。離陸したのはその2時間後であった。さすが、エアロフロート やな。
 

紆余曲折を経て、ようやく ボス に出張での成果報告にたどり着いた私。
数社の商品を輸入したい、又、数社に関しては大いに検討すべしとの私の報告に 満足げにうなずき、すぐに動くように指示を与えてきた。ボス。
そして、機は熟したと、 アンティーク家具の輸入・販売に商機あり。
いち早く行うべし。と自信満々に進言する私。
 

何?アンティーク家具?はあ?時差ぼけかこいつ? というような表情の ボス。
しばらく 睨みあいが続き  ダメ の一言を発するボス。
 

はあ~~。5時間前のヒースロー空港到着、早めのシートベルト着用が水の泡となり
唖然とする私。
 

その後、1年間の 睨みあい いやいや実績が実り、アンティークやってみろよ。
とボス。
1990年 吉祥寺のアンティークショップ ジュビリーマーケット のスタート。
 

サラッとかたずけるはずがダラダラと長くなった どうでも良いこと   完
 
 

西洋骨董・買付・見聞録 はぼちぼちと続きます。

西洋骨董*買い付け*見聞録*7

西洋アンティークとの衝撃的な出会い。- 前編 –
 

私が西洋アンティークの輸入・販売をするに至った経緯(どうでも良いことですが)は今回が最後になります。
次回からは、年・時・場所にこだわらず、思い出したエピソードをランダムに書いていこうと思っております。
という事で(どうでも良いこと)をサラッと片付けてしまいましょう。
 
1989年4月 ロンドンでの初仕事は、まずまずの成果が得られた。
大英博物館も堪能できたし、残すはアンティークマーッケト見物と洒落こむか。と意味の分からんことをK氏に行ったところ、案の定 ???はあー???と こういう場合に使う
表現か? 洒落こむ ・・・? まあ、この様な表情をしていた。
 
という事でとにかく(おそらく日曜日の朝だったと思う)カムデンマーケットに行った。
*現在カムデンマーケットがどうなっているかは知らない。おそらくアンティークの売買は行われてないと思う。1989年でも旅行雑誌にはアンティークマーケットと書いてあったがアンティークは ステイブルヤード 近辺のみであった。もう25年も足を踏み入れていない。
 
そんなカムデンでも、私にとっては衝撃的な出会いがあった。
ステーブルヤード付近で アンティーク家具を売っていたので どれどれ えっ うそ そうなの なんで・・・と。東京の西洋アンティークショップで売られている同等の家具
が30分の1以下・中には50分の1の価格の物も、勿論、国内のアンティークショップでは、修理等のメンテナンスを施し、日本人好みに仕上げてあり、加えて買い付けや輸送のコスト・倉庫代・店舗にかかる費用・人件費…等々が含まれているのはわかる。しかし、それにしても 儲けてはるな と元関西人の私は心の中で叫んでしまった。
 
*余談ではあるが30年前にはまだ関西弁が喋れた、又、頭の中では 関西弁が70%位を占めていたと思う。現在はほとんど喋れないため、親戚からは 東京に魂を売ったな と言われている。
 
 
その時である、一人の若者が目の前でおそらく100年ぐらい前の物と思われるパイン材のベンチボックスを購入、そしてそれを ひょいと 肩に担ぎ持ち帰ったのである。
その瞬間 これや これやがな はよせんと とまたもや心の中で叫んだ。同時に幼少時代、骨董関係の仕事をしていた祖父と骨董市や道具市に出入りしていた頃の記憶が鮮明に蘇ったのである。
そんな私の表情に興味を持ったのか、もしくは私の心の声が少し漏れていたのか、 ハローと小太りではあるが、気の良さそうなアングロサクソンであろうと思われる、フレッド が話しかけてきた。フレッドはパイン材アンティーク家具を専門に扱うディーラーでこの場所を店舗として借りている人物であった。。。
 
 
次回へ続く。。

スチュアート ダウジー との出会い 後編

西洋骨董*買い付け*見聞録*8
スチュアート ダウジー との出会い 後編

 

 

私が、アンティークディーラーとして歩むことを決定的にしたのは、何といってもスチュアートとの出会いから始まる。その時の事は、今でも克明に覚えている。

 

眼鏡店地下のオフィスを訪ねた私とK氏を出迎えてくれたのが スチュアート・ダウジーであった。当時49歳(ちなみに私は、30歳)・身長も高く(190cm)ガッチリとした体躯に紺のスーツ・白いピンドットのやはり紺のネクタイを締め、日本人のそれとは違うが、丁寧なお辞儀をして 「スチュアート・ダウジーです宜しくお願いします。」 と流暢な日本語で挨拶をしてきた。

 

当然であるが、この様な状況である以上こちらも ナナナイス・トゥ・ミイーイトゥ・ユウー・・・などと 私が考案した 謎の言語 を話す必要がないと判断し、初めまして仲山です。 と答え握手をしたのである。

 

彼は、1960年代にヒッチハイクでトルコまで行くつもりでイギリスを出た。お決まりのコースであるインド・アジア諸国をめぐり日本を経てカナダに行くという事になったのだが、日本で 碁 に出会い嵌ってしまったそうである。

 

そして、いわゆる大和撫子???にも嵌り、結婚・娘を授かるが離婚、結局カナダに行くことなく8年程日本で暮らし、NHKの囲碁番組にも出演・外国人向けの囲碁雑誌社設立、私やK氏より正しい日本語を話すことが出来た。

 

私も、小学校高学年からスチュアートが実践したヒッピームーブメントに影響を受けて育ち、大学卒業後、就職もせず外国をほっつき歩いていた経歴の持ち主の為、そんなことなど知らずとも、お互い 同じ人種 の匂いを嗅ぎつけ直ぐに意気投合したのである。

 

その後、私の親友となる、北イングランドで名を馳せたアンティークディーラー、トニー(他界)や一緒にベルギーやフランスに Buying Trip に数十回行くことになるアランも同じ 人種 である。しかし、スチュアートとアンティーク業界にどっぷり浸かることになるのは、この後1年数か月後の事である。

 

但し、この時は、1990年代にイギリスで名を馳せた、 エマー・ブリッジウォータ との契約の他、多くの収穫があり、2年後に、私が所属していた会社が多額の投資をしてくれ、ジュビリーマーケットを立ち上げることにつながったのである。

 

次回へ続く。。

スチュアート ダウジー との出会い 前編

西洋骨董*買い付け*見聞録*7
スチュアート ダウジー との出会い 前編

 

 

1989年春にロンドンに向かった最大の目的は、私が所属する会社が海外の家具・雑貨の直輸入を本格的に展開するための現地調査、及びトライアル仕入れであった。
*当時はまだ家具と雑貨の両方を扱うShopはあまりなく、1980年代後半から
俗に言う 雑貨ブーム が始まる。

 

しかし、それまでにも社長をはじめ当時の会社幹部がアメリカ・ヨーロッパに同じ目的で渡航していたが、全く進展がなく経費の無駄遣いとなっていた。
そこで、私が謎の言語を駆使する事と、海外生活の経験のある事から 英語が話せる と
おっちょこちょい な結論を導き出した社長が 「何か探してこい」と訳の分からないことを言いだしたのである。勿論、私にとっては 千載一隅の好機 であったため、何故、先輩方が結果を出せなかったのかを探ることにした。

 

先ず、言語能力(通訳を雇ったので問題ない)。
次に、何かを探せ は非常に難しい。情報収集力の問題。センスが無い。時代が読めない。
プライドが高いのか低いのか、下手でも、間違っていてもお構いなしに、相手とコミュニケーションを取ろうと努力しないのであろう。等々、色々考えてみた。
そして、今のようにネットのない時代に効率よく情報を収集しかつ現地の業者と上手にコミニケションを取るには現地人(この場合イギリス人となる)と組めばよいと結論付けた。

 

幸いに、私の当時の顧客に成城にて眼鏡店を営む方がおられ、なんとその方がロンドン支店を出店したとの事。しかも、ダンヒルなどのブランド眼鏡を日本に輸入するために日本語が堪能なスッタフがいるので何か必要があればお手伝いするよ。と言ってこられたのだ。
元来、ツキ がある私ではあるが、この時は 来たな と確信した。
そして、ロンドンのハノーバストリートの眼鏡店オフィスにて、その後、盟友 となる
スチュアート と会うことになる。

 

*ここ数年は疎遠となっております。3年前にスカイプで爺さんとおじさんが見つめあいながら会話をしたのが最後です。あまり宜しくない光景でしょ。桑原桑原

 

次回へ続く。。

西洋骨董*買い付け*見聞録*6

ロンドン到着の翌日は、自社で輸入をしていた英国家具オールドチャームシリーズのメーカーである、ウッドブラザース社にK氏を引き連れ訪問したところ、アジア担当の営業マンで名前は忘れてしまった、確かロジャーとか、何とか。
彼の訪日の際はいつも昼食を共にしたが、あまり仕事の話をした記憶はない。何を話していたのだろう。
仕事の一環 と称しいつもビールを飲んでいたことだけは覚えている。
その彼が、3日前に退職したとのこと、ヘッドハンティングされたそうだ。おそらく優秀な人物だったであろう。おそらく・・・。
 
という事で、ロジャーの上司(以下上司)が工場案内をしてくれた後、年内発売予定の新製品の紹介や我々の要望についての話し合い・・・等々。
特に記述するに値することもない。
そもそも内容も覚えていない。
しかし、一番の謎は、私の何語かも良く分からない 英語? でよくも2時間ほどの時間ビジネストークが出来たものだ。我ながら感心する。やれば出来る何事も!!
おそらくは、双方とも半分くらい理解出来たという事であったのであろう。
問題なしだ。
 
その後、車で駅まで送りがてら、パブでビールでも飲もうと上司のご提案。
真面目な私は、仕事の一環 である以上お断りすることは許されないと、YES。
K氏は酒が飲めないので、おそらくジュースか何かをのんでいたと思われる。
私と上司は店の人のお勧めビターを注文。当時の私はラガーの方が好みではあったが、イギリスに来るたびにビターの味にはまっていくことになる。
渡英回数は150回位なので今ではすっかりビター派である。
 
そして、私が操る謎の言語 と 上司の英語 による謎の会話が1時間ほど続いた。
K氏?英語も謎の言語も出来ない彼は3時間ほど無言を貫いていた。すごい忍耐力である。
 

次回へ続く。。

9月5日(水)~7日(金)『Montage』(TOC有明)に出展します。

アンティークディーラーズクラブ/The Moonとして、
9月5日(水)~7日(金)、 TOC有明で開催されるインテリアの展示会『Montage』に出展します。

 

 
『MONTAGE 20th』
2018.09.05(Wed) – 09.07(Fri)

 
 
会期:
2018 / 09 / 05 (Wed) – 09 / 07 (Fri)
 
開催時間:
2018 / 09 / 05 (Wed) 09:30 – 19:00
2018 / 09 / 06 (Thu) 09:30 – 19:00
2018 / 09 / 07 (FRI) 09:30 – 16:00

 

会場:
TOC 有明 WEST GOLD 20

〒 135-0063
東京都江東区有明 3-5-7 WEST 20F
TEL: 03-3494-2177
 

 

『MONTAGE 20th』公式サイトはこちら:
https://montage-express.jp/

 

西洋骨董*買い付け*見聞録*5

ロンドンヒースローに着陸し、タラップを降りバスに乗り空港ビルに向かったのであるが
私もK氏も何度も腕時計を確認しながら、何やら ブツブツ ???
 
Why・・・・・・・・・・・・・・
とうとう我慢が出来なくなった K氏が 「今って、何時すっか?」
私「8時」
K氏「夜の8時 すっか?」
私「そのはず」
「なんでもこんなに明るいんっすか?」「緯度のせいすっか?」
 
・・・・・・・・・・・・・
「サマータイム? だから?」
 
「本当っすか? これ、昼 っすよ」
「知らねえよ。 俺に聞くな。。百科事典 で調べろ!バカ」
*現在では、パワハラ。百科事典も死語に近いと思われる方も多いと思いますが、
 百科事典 結構売れているようですよ。
まー。サマータイムは知っておりましたが、奇妙な感じでした。
*その後、更に高緯度のスコットランドにも行くようになりましたが、夏は23時頃でも
三輪車で遊ぶ子供を見かけたり、ゴルフ場ではロストボールを探す人がいたり、夜明けも早いのに、「いつ寝るんだろう」。
その代わり、冬は15時には真っ暗、朝も9時でも暗い。「よく寝れるね」
何となく納得できない。とキョロキョロするK氏。
通関後、地下鉄ピカデリー線に乗って LONDON市内 へ。
*まだ、ヒースローエクスプレスが開通していませんでした。
 
あくまでも個人的意見ですが、サマータイム 反対!!

 

次回へ続く。。

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