西洋アンティークとの衝撃的な出会い。- 後編 –
フレッドが、私の駆使する 難解至極な謎の言語を、根気よく解読してくれたお陰で私達は、あれやこれや話をすることが出来た。
イギリスでのアンティーク事情の入門編は フレッドから教わった。
私は、ここでアンティークの輸入・販売をすべきであると確信したため、1分でも早く帰国して、そのことを1秒でも早くボスに報告しなければならないとの使命感がふつふつと湧き上がるのを感じため、その夜は 早く朝が来ないかと なかなか眠れなかったのを今でも覚えている。ようやく朝になり眠そうな顔押した K氏 を叱咤し、飛行機の出発5時間前には空港に到着していたように記憶している。
とにかく、早く帰りたいの一心であった。(あほやな)
空港では多くの商品サンプルを詰め込んだスーツケースが重量オーバーとなり追加料金 300ポンド(当時75,000円位)を請求されるという予期せぬ事態に遭遇したが、関西弁英語バージョンを駆使して、エアロフロートのレスラー体型おばちゃんを相手に減額交渉。どうにか50ポンド(12000円位)で手を打った。 関西弁 すごいですな。
いよいよ、搭乗時間 のアナウンス。1分でも早く帰りたい私にとっては 待ちに待った 瞬間である。意気揚々と飛行機に乗り込み、早めのシートベルト着用、あとは離陸を待つのみの状態になり安心したのか、不覚にもうとうとしてしまった。ふっと目が覚め腕時計を確認すると、すでに離陸時間を過ぎてるではないか。
これは悪夢かと思いボーとしていると、よくわかりませんけど離陸 遅れるみたいなこと言ってましたよ。横に座っていたK氏。
なに~。と思わず K氏 をにらみつける私。
結局。離陸したのはその2時間後であった。さすが、エアロフロート やな。
紆余曲折を経て、ようやく ボス に出張での成果報告にたどり着いた私。
数社の商品を輸入したい、又、数社に関しては大いに検討すべしとの私の報告に 満足げにうなずき、すぐに動くように指示を与えてきた。ボス。
そして、機は熟したと、 アンティーク家具の輸入・販売に商機あり。
いち早く行うべし。と自信満々に進言する私。
何?アンティーク家具?はあ?時差ぼけかこいつ? というような表情の ボス。
しばらく 睨みあいが続き ダメ の一言を発するボス。
はあ~~。5時間前のヒースロー空港到着、早めのシートベルト着用が水の泡となり
唖然とする私。
その後、1年間の 睨みあい いやいや実績が実り、アンティークやってみろよ。
とボス。
1990年 吉祥寺のアンティークショップ ジュビリーマーケット のスタート。
サラッとかたずけるはずがダラダラと長くなった どうでも良いこと 完
西洋骨董・買付・見聞録 はぼちぼちと続きます。